ちゅんたろーの旅行記 Feed

2014年12月 4日 (木)

奥飛騨温泉*6 高山に寄ろう

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お宿のバスで奥飛騨から白川郷へ向かう途中、高山の姉妹宿で休憩と新たなお客さんを乗せるため、ちょっと時間がありました。
時間厳守が気になりすぎるちゅんたろーは、10分しかないと思ってしまうけど
「10分もあるやんかー」と考えるおっちゃん。
「ちょっと行こう行こう」と国分寺に引きずられていきました。
黄金に照り映えた姿が見事だったであろう銀杏の木が通りからも見えたのです。

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高山は標高がけっこう高いので、紅葉ももうおしまい。
黄色の絨毯が敷きつめられています。
外国人観光客とよくすれ違います。
姉妹宿にも中国人がいっぱい。

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白川郷から高山に戻ってくる道がすいていて
特急の発車時間まで今度は40分はあります。
バスから見えたあの観光客がたくさんいる通りまで行ってみようということになりました。
通りはよく整備清掃されて、散策するのに気持ちがよいです。
キャリーバッグをころころひいてる女子ふたり連れは、これから高山のお宿にチェックインなのでしょうね。

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長く続く細い路地に向かい合った古い町家は
酒蔵、お土産屋、雑貨、カフェ、飛騨牛のにぎり寿司屋などなど
老若男女の観光客がのんびり五平餅を食べたりしながら
買い物などを楽しんでいます。
ひと、いっぱい!

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造り酒屋が幾軒もあり、試飲を楽しんでいるおじさん多数。
うう、時間があれば、わたしもやりたかったなぁ。
くすす。

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帰りの列車で飲む生酒を買いました。
それから、昔なつかしい明宝ハムも。

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お店にはほとんど入らず、ディスプレイだけを眺めて、長い路地を通り抜けました。
ちょっと残念です。
時間、大丈夫?
「そろそろ戻ったほうがええなー」

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高山駅に戻る途中、高山陣屋のところに出ました。
陣屋は、江戸時代の代官所、お役所です。
現存するたったひとつの陣屋だそうです。
ここでは朝市も開かれてるそう。

「早足で歩かんでも大丈夫やで」と言われつつ
列車に乗り込んだら間もなく発車のベルが鳴りました。


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地酒を飲んで眠り、新幹線ではちくわを食べてうとうと、新大阪まであっという間でした♪

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2014年12月 2日 (火)

奥飛騨温泉*5 白川郷を歩こう

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神田家の1階のお座敷でお茶をいただきながら
展望台までどうやって行くのがいいか、神田家の方に聞いてみました。
「シャトルバスも出てるけど、歩いても15分くらいですよ」
あー、それなら歩いて行こうよ。
「でもね、熊が出るかも」
えっ、出るんですか。
「ええ、今年はね、すぐそこまで。柿の木に実が残ってるのを狙ってねぇ。うちも早くとってしまわないと…」
食べもの、ないんですねぇ。
「そう、熊が悪いわけじゃないんよね」

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くーまぁがくっちゃうぞ かぁきのみぃをくっちゃうぞ
そんならわたしもくっちゃうぞ くーまぁをくっちゃうぞ
なぁべにして くっちゃうぞ くーまのてのひら やいちゃうぞ
くーまのきぃもも のんじゃうぞ つるりごくんと のんじゃうぞ

ちゅんたろーは歌いながら山道を歩きます。
確かに熊も出そうなんだもん。
「な、なんやねん、なんの歌やねんな。脳みそとけそうやで」と笑うおっちゃん。
脳みそとけたらたいへんだ フリーザーにいれちゃうぞ
こちんかちんの脳みそを ウーィスキーでわっちゃうぞ 
マードラーでぐーるぐる……
ぷすす。
「ぷすすちゃうわ」
歌ってるうちに、展望台に到着です。
人がけっこう歩いているので、熊は寄ってはこないのです。

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白い雪が積もって、夜になって、灯りがともるときれいだろうなぁ。
白川の里を見おろしながら、想像するのです。
民宿に泊まるのもいいなぁ、真冬に。
寒いかなぁ。
囲炉裏端でお酒飲むのもいいなぁ。
そうしてるうちに眠くなって、雪の降り積もる音に耳をすませながら寝るのがいいなぁ。

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雪をいただいて、なんていう山かしらん。
ここは岐阜県の北部です、山が深いです。
本格的な冬もすぐそこまできています。

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展望台でおっちゃんと缶ビールを1本、ぐぃっと飲みました。
ビール、うまっ!
そういえばおにぎり持ってた。
カゴバッグからきのこおにぎりを取り出して、ぱくっ。
くすす。
シャトルバスが満員で、帰りも徒歩で戻ります。
下りはあっという間です。

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お土産屋さんにあったリュック型のカゴ
いちじくぬぎを病院に連れていくときに使えたら
かわいすぎてたまらないんだけどなぁ。

合掌造りのカフェでコーヒーを一杯。
合掌造りのお寺と鐘楼門が見える窓辺で足を伸ばして休憩しました。

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2時間たっぷり楽しみました。

2014年11月30日 (日)

奥飛騨温泉*4 白川郷へいこう

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早起きしてお湯にも浸かりました。
朝ごはんでおいしかったのは、野菜を朴葉味噌で焼いたのとなめこのお味噌汁。
地元のものがいちばんです。
ゆっくりして、朝からおなかいっぱいになって、ぼちぼち出発。
お宿のバスが奥飛騨から白川郷まで連れてってくれるのです。
9時過ぎに出て、高山の系列宿に寄ってから白川郷についたのはお昼ごろ。

テレビでよく見ている白川郷は、小さな小さな山あいの里です。
世界文化遺産です。

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茅葺きの合掌造りの家はたいていお土産屋さんやカフェや民宿になっていて
ふつうに住んでいるお宅はとても少ないんじゃないかという印象。
思っていたより多くの茅葺き屋根の家々のあいだをぬうように
観光客たちはのんびり散策しています。

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家の周囲を雪よけの塀で守る冬支度がすすんでいます。
茅葺きの傾斜が急なことに、あらためてびっくり。
猫でもすべり落ちそうなくらいとんがっています。

合掌造りの家の中がどうなっているのか
ひとつお邪魔することにします。
写真の左側の家、神田家です。

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神田家は、1階は住居、火見窓がある2階、3〜4階は養蚕工場となっている大きなお屋敷。
火見窓とは、1階の囲炉裏のある広い板の間を見下ろす部屋に設けられていて
若い男の人がそこで寝泊まりし、夜中に囲炉裏の火が消えないか、火見窓からのぞいて番をしていたのだそうです。
囲炉裏はいまも1年中火をたやさないそうで、家の中は黒く燻され、少々煙たいです。

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囲炉裏の炭火で燻されることで、家屋の強度は増し、防虫効果もあり、一石二鳥。
ここのところは温暖化のせいか、昔ほどには積雪をしなくなったそうで、そうなると雪解け水が少なくなり、わらびが採れなくなり、茅の育ちも悪くなったとのこと。
茅の質が悪くなったせいか、囲炉裏を焚く時間が少ないせいか、50年保つとされた茅葺き屋根が30年保たない。
片面づつ行う茅葺き屋根の改修は、手間も費用もかかり、維持がますます困難なのだそうです。
囲炉裏で沸かしたお湯で煎れたお茶をいただきました。
どくだみとくまざさとはと麦のブレンド茶で、甘くてとてもおいしかったです。


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観光客もたいしてお金を落としていきそうになかったですし。



2014年11月28日 (金)

奥飛騨温泉*3 おいしいものを食べよう

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お食事はレストランの個室でいただきました。
こちらの旅館の露天風呂にも入って、食事の時間を6時半に指定したのを後悔しました。
おなかがぺこぺこです。

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白ワインをいただきながらの前菜の中では、揚げ銀杏となつめの磯辺揚げ、行者にんにく味噌がうまかったです。

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飛騨のさるぼぼ。
ぼぼは飛騨地方の方言であかちゃんのこと。
災いが去る(猿)、家庭円(猿)満、魔除け、縁起のいいお守りなのだそうです。

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ここは山の中、ぼたん海老やまぐろ、昆布じめの鯛など、海のものも悪くなかったけど期待していないので
岩魚の姿造りがとてもおいしかったのがよかったです。

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土瓶蒸しのお出汁も、この鰆と春菊のみぞれ蒸しもいい感じです。

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飛騨牛がやってきました。
おいしそー!

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おろしポン酢、塩、味噌、どれでもお好きにどうぞということで
あぶらえ塩(エゴマのことだそうです)とボリビア塩とタイム塩の三種の塩から、おすすめのボリビア塩でいただきました。
おいしい塩だった!

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きのこ釜飯に火が入ります。
きのこ、大好き!

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牡蠣のほっこりスープ
「やめといたほうがええんちゃうかー」というおっちゃんの声に
牡蠣はよけてスープだけ飲みました。
クリームスープだけど、とてもあっさりしてよろしいです。

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子持ち鮎の塩焼きです。
今年は解禁直後の鮮烈な鮎から、子持ち鮎まで、よく鮎をいただきました。
めぐる季節を丸ごとです。
四季があるっていいですね。

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止め椀替わりの「こけ鍋」のきのこ色々です。
ああ、遠くの山の中にやってきたかいがあるってものです。

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投じそば。
きのことそばのお鍋です。
あとにはごはんと卵を入れて雑炊に。
これもうまかった。

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きのこ釜飯もうまいし!
残った分はおにぎりにして、部屋に持ち帰りました。

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もうおなかがぽんぽんのぽん。
丁寧にできるだけ地元のものも使っておもてなししようって気持ちが伝わってきて、おいしくいただけたのがとてもよかったです。

部屋に戻ると、テレビでさきごろ亡くなった高倉健さんの特集をやっていました。
すごくファンだったわけじゃないけど「健さん」と呼んでしまい、なつかしさと親しさを感じ、亡くなられたことに手を合わせたくなる。
最後の作品「あなたへ」は飛行機の中で観たのでした。


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「不器用ですから」のセリフが言える人は少ないですわねぇ




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2014年11月26日 (水)

奥飛騨温泉*2 露天風呂にはいろう

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仲居さんの説明を聞きながら、どうしようかなぁと悩んだのは
露天風呂にはいろうかやめようかということです。
宿泊した穂高荘山月の姉妹宿穂高荘山のホテルが近くにあって
そこの露天風呂が広々として気持ちがいい、らしい。
もちろんおっちゃんは行く気満々、わたしも行きたい。
だけどなぁ、混浴なんだって。

水着着用は禁止、「湯あみ」っていうのを着ての入浴。
バスタオルを縫い合わせて筒状にし、ゴムを通したもの、とお考えください。
はだかじゃないし、いいトシでもあるし、ま、いいか〜〜

浴衣に着替え、綿入れ半纏をはおって、宿のちびたバスで出かけます。

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ちびちびたな最大6人のりの箱みたいなケーブルカーで降りてゆきます。

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乗り込むとエレベーターボタンみたいな「上へ」「下へ」「開閉」のパネルがあり、自分で押して動かすのです。

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女性のみの露天風呂もあるそうだけど
おっちゃんと一緒のほうが安心だし、後学のためにも、ものの試しです。
混浴、混浴。

午後4時前で、まだ明るい。
残念ながら曇ってきて、見えるはずの遠くの北アルプスが隠れてしまっています。
男女別脱衣所で、若い女の子に会ったので、お、ラッキーと思いました。
わたしだけぢゃなあ〜い。
広くゆったりした露天風呂です。
人と人との間には距離がたっぷりあります。
若いカップルに若い家族が数組います。
それならいいや〜。
その他はおっちゃんばっかし。
おっちゃんたちは、入浴中はじろじろ見るのを遠慮していますが、女性がお湯から出て、脱衣所に向かうところをちらちら見ずにはおられないようです。
「湯あみ」が濡れてからだにぴったり張りつくからです。
なるほど、おっちゃんらにぬかりなし。
ぷすす。

紅葉はすっかり終わって、ときおり、枯れ葉がお湯に舞い降ります。
空気は冷たく、お湯はやわらかく、肌はすべすべで
さて、脱衣所までの数メートル。
「浸かってしゃがんだままお湯の中を歩くん?」とおっちゃん。
あたりまえぢゃ。
あーあ、おちりにバスタオル湯あみが張りついて丸見えだよなぁと思いながら
堂々と素早く飛ぶように脱衣所に消えたちゅんたろーです。

「おっちゃんらぁがガン見しとったでー」と笑ってるおっちゃんを
どついたろかと思ったわたくしなのでした。

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さすがにカメラ禁止でした。




2014年11月25日 (火)

奥飛騨温泉*1 温泉にゆこう

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ほんとうに疲れすぎてよろよろのおっちゃんです。
もう家でゆっくり寝てたりしたほうがいいんじゃない?
「いや、温泉にでもつからんと、もうあかんねん」
そ、それならいいけど、大丈夫かなぁ。

11月23日は勤労感謝の日。
新大阪の駅は人が多く、少し早めに着いてしまったかと思ったけれど
ホームへのエスカレーターのところにあるスタバには長蛇の列ができて
コーヒーを買っている間に出発の時間になってしまいました。
おっちゃんなんて、マクドナルドでエッグマフィンを買うし
わたしは甘過ぎのハニーワッフルを買うし
旅行のときって、ふだんと違うことをするもんです。

名古屋まではあっという間、乗り換え時間もたった8分。
わたし、今度は缶コーヒーの「微糖」とレジでふと目に入ったチロルチョコのきなこを購入して、高山本線の特急に乗り込みます。
岐阜で方向をかえて、北上です。
景色がのどかで次第に山あいをゆきます。
知らなかったけど、単線です、よくどこかの小さな駅ですれ違うための待ち合いがあります。
「高山本線全通開通80周年」のせいか、紅葉のせいか、撮り鉄のおじさん(が多いと思いました)が線路ぞいでシャッターチャンスを待っています。
下呂温泉くらいまで、まだ紅葉がありました。

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少しずつ標高があがっていき、それにつれて、冬山の様子に変わっていきました。
広葉樹はすっかり葉を落としています。
いいお天気です。
どうやら明日まで天気はもつらしい、晴れオンナだもん、そうだよねー。
くすす。

観光案内所でバスの乗り場を教えてもらい、ファミマでおにぎりを買い
ホテルが送迎する奥飛騨までのバスに乗り込みます。
おんぼろバスで、たった4人をおじいさん運転手が送ってくれました。
山を越え、ときどきのぞく北アルプスの雪をかぶった尖った山頂を眺め
カーブをふられていると、平湯から新穂高温泉へと到着です。
朝9時20分の新大阪から、到着は2時半すぎごろ。
ちゅんたろー、人が少なくなるにつれ、緑が多くなるにつれ、元気です。

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お宿は「穂高荘山月」和風旅館です。
広い玄関を入ると薄暗く高い天井には太い梁。
お出迎えの仲居さんに、ロビーへと案内されると、急に明るくて
目がくらみました。

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庭園の緋鯉に真鯉を眺めながら、お茶をいただき、部屋へと案内されます。
「風呂や、温泉や〜〜」とあがるおっちゃん。
部屋や温泉のいろいろを説明してくれる仲居さんの話を聞きながら
ちゅんたろーは、どないしょぅ〜〜と悩むのでした。

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ちびた旅行記ですが、お付き合いくださーい。




2014年7月25日 (金)

1997年以来の帰省*4 さっぱりわからないけれど

もしかしたら、とてもストレスを感じて発作を起こしたり、ということもあったかもしれない。
熱を出したり体調を崩す、くらいのことは旅行後はありがちのことだし、そのくらいは当然だろう。
そう思っていたけれど、福岡から帰ってきてそれなりの疲労はあっても、けっこう元気にしています。
想像していたような感情の揺れもありません。


あれだけ頑に恐怖し拒否していた両親に会うということを
急に会ってみるか、と思い、実行にうつし、けっこうさらりと行って帰ってきた。
そのことが、自分自身、どうにも理解できないでいます。
どうして心が動いたんだろう。
よくわからないのです。
強いていうなら、陶芸を再開して、なんとなくやっていけそうだというところまできたことでしょうか。
そのことが、わたしの精神を少し安定させ、先へ進むようにと背中を押した。
そうなのでしょうか。
よくわからない。
なんなのだろうと繰り返しています。
なにか揺り戻しがあるのだろうか。


よかったなぁと思ったのは、福岡に住む大妹と会えたことです。
わたしのふたつ年下の大妹と6つ下の小妹と3人でしゃべっていると
十何年も経ったなんて思えないし、とてもふつうで、ホッとした。


夜、客間にみっつ布団を並べて敷きました。
大妹は自分のメディカル枕を持参「これがいいと」。
小妹は「マットの固さがどうも合わーん。首が痛いっちゃんね」。
ああ、ふたりは神経質。
どこでもなんでも眠れるわたしが、川の字の真ん中で休むことにしました。
朝、目が覚めたとき、右に行き倒れたように寝てる小妹がおり
左にまっすぐきれいに寝ている大妹がおり
昔といっちょん変わらん。
それがなんだかとてもおかしくて、元気が出た。
起き出し、リビングにいくと、母が朝食を作っているところでした。
わたしがコーヒーをいれました。
みんみんゼミが鳴いていました。




Banner_02牧のうどんでごぼう天うどんが食べたかったです。





2014年7月24日 (木)

1997年以来の帰省*3 父はアルツハイマー

何年前だったか、わたしの記憶にはありませんが、父はアルツハイマー型認知症を発症しました。
「おれはガンで死ぬ」が口癖の父で、子どものころは折りにつけ父の前に座らされ「おれが死んだら誰それに連絡して、ああしろこうしろ」と聞かされて、父はいつガンになるんだろう、父のもしものときにはしっかりしなくては、そう常に思いつつ、大人になりました。
曾祖父も祖父もガンでなくなったから、自分もそうだと信じてたのでしょう。
父は、ガンじゃなくアルツハイマーになりました。
病気は選べないのです。
次第に悪化していくも、父はデイサービスもショートステイも頑固に拒否。
24時間介護では、母の健康状態が保てません。
限界、と母と妹たちは判断し、ちょうど1年前にグループホームに入りました。
精神病院に併設されている認知症に特化したホームです。
7月19日土曜日の午後。
福岡市内に住むもうひとりの妹(三姉妹の真ん中の大妹です)もやってきて
母と妹ふたりとわたしの4人で、父を訪ねました。


認知症が進んだ父にとって、母は一日おきに会いにくる「とても近しい人」。
大妹のことは一瞬名前を呼んだけれど、すぐにわからなくなり
わたしの顔をじぃっと見て「いい顔してるぅ」と言いました。
「おとうさん、おねえちゃんのこと一瞬わかったよ」妹たちは言うのだけれど
わたしはそれに気がつかなかった。
父はわたしが娘だとはわからなくなっていました。
そうか。


覚えていようが、覚えてなかろうが、わたしにはどちらでもよかったようです。
そうか、と合点した、それだけです。
父はよく食べるらしいけれど痩せて、80歳にしては多い髪は白くなっていました。
一日おきにくる母は、直接さよならと言うのではなく、父がトイレに行っている間に帰るのだそうです。
そうすればさみしくない。
そのくらい直前の記憶がない。
わたしが話しかけているうちに、祖父のことを思い出したようで、当時のことを生き生きと話し始めました。
ああ、おじいちゃんと鳥撃ちに山に行っとったとよね、と言うと
「ぼくはおじいちゃんじゃありません」と父。
「お義父さんのことよ」と母。
「そう、おやじです」と父。
あら、失礼しました、くすす。


父は子どものようだ、と思いました。
両手で自分の腕を抱き、うつむき加減、礼儀正しくて、気弱そう。
きっと小さなころは、こんなふうだったんだろう。
高圧的で支配的ですぐにイライラして癇癪を起こす。
わがままで一家の長はオレだという態度を通してきた父が小さくなって目の前にいます。
そうか。
どうなったとしても、父は父。
わたしにとまどいはない。
ただここまで、母も妹たちも大変だっただろうと思う。


妹ふたりとわたしは、もう少しいるという母を残してホームを出ました。
父は嬉しそうでもあり、人がたくさん来て疲れたようでもありました。
梅雨明けしたような午後のギラギラした太陽の日差し。
大阪よりも濃い青の空に白い雲がくっきりと浮かび
油山は少しかすんでいます。
近くの銘菓「鶴乃子」の石村萬盛堂で、コーヒーを飲みながら母が出てくるのを待ち、
一緒に帰るタクシーがなかなかつかまらない間に
強い太陽の日差しに負けて、熱がこもって上がってきます。
あわてて冷えピタを首の後ろに貼りました。



Banner_02認知症、多いですよねぇ




2014年7月23日 (水)

1997年以来の帰省*2

いちばん驚いたのはクリニックの先生だったように思います。
幼少時からのことがどれだけ深い傷になっているか、
わたしの持病の悪化のもとになっているか、
精神状態に悪影響を与えつづけているか、
困り果てるくらい知っている。
両親に会うなんて言い出す日はこないと思っていたかもしれない。
たとえば葬儀に出たくないと相談しても驚かなかったかもしれない。
「反対はしませんが…。うーん…」
しばらく絶句して、行くというのならその間の助けになる処方を考えてくれました。
少しかすれたような声で「気をつけて」。


7月18日金曜日の夕方、小妹の仕事がおわったあと、
新大阪駅の新幹線改札を入って、スタバの隣に待合室がある、そのあたりね。
待ち合わせをしました。
横浜あたりの信号トラブルで下り列車が遅れていました。
ごったがえす中では、お土産を買うにもお弁当を買うにも長い長い行列ができています。
だから、駅はきらいなんだよぉ。
何度もキャリーバッグに足を踏まれ、わたしも誰かの足の上をコロコロ、ひきました。
サンドイッチと柿の葉寿司とビールを買って、ぎりぎり乗り込んだら、はぁ〜〜〜〜〜〜。
九州新幹線「さくら」はシートがゆったりして、座り心地がよかったです。


関門海峡を渡り、博多駅に着いたのは9時をまわっていました。
駅の様子はすっかり変わっていて、筑紫口を出てはじめて、ああ、ここね、とわかります。
金曜の夜のことで、多くの人たちが飲み会につどっているにぎわいが、福岡らしい。
周囲から関西弁が聞こえない、九州顔の人ばっかり、たっぷり飲んでのんびりしてる人が歓談してる。
大阪の街中で博多弁で話しかけると「やめて〜つられるけん、やめて〜〜」といつも渋い顔する小妹は「一瞬でいつもよりさらに濃い博多弁になった。おねーちゃん、なんでそげん博多弁を忘れんかね…」と不思議顔です。
コンビニで飲み物(スパークリングとかワインとか梅酒とか)を買って、黄色いタクシーをとめました。
大阪のタクシーは黒い車が多いけど、福岡はイエローキャブです。


実家に着くと、母が門扉を開けてくれました。
小妹に聞いていたとおり、ぽっちゃり小柄だった母は、痩せてさらに小さくなっていました。
ご無沙汰しましたと言えば、あとはぼちぼちと近況の報告や日常会話をできるだけ自然にとこころがける。
心に波風立たせないように、
わだかまりは棚の上に押し込んで、落ちてこないように、
つとめていられたと思います。





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2014年7月22日 (火)

1997年以来の帰省

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祖母がなくなったのが1997年の春。
その葬儀以来、一度も実家に帰っていなかったのです。
わたし個人の内面の問題。
両親と、会うことも声を聞くことも手紙を受け取ることもしなかった。
とにかく、離れていたかった、離れているしかなかった。
それがいいことだとは思っていなかったけれど
そうする以外の道は歩けなかった。

老いていく両親に対して「後悔のないように」と声をかけられることは多かったし
自分自身にそれを問いかけることを怠ったこともない。
だけどほかの道がないのだから、いつも結論は「後悔はない」。

会おう。
両親に会おうと思ったのはこの6月のことです。
具合が悪く、うつ状態がひどかったとき
このままでは、消えない過去の現実に一生追いかけられる。
打開できるかどうかはわからないけど、新しい現実に向かってみよう。
苦しさのあまり、そう思いついた。
絶対に会いたくない、ちらりとも会ってみようとよぎらなかった長い年月から
突然、ひょいと飛び出てきたわたしの気持ち。
なぜだろう。
どうしてだろう。
よくわからない。

しばらく、その気持ちがどうなのか、自分で眺めていて
意外にも揺らがないものだから
「小妹が帰省する海の日あたり、わたしも一緒に福岡行ってくるよ」
そうおっちゃんに言いました。


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