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2008年6月 4日 (水)

尾てい骨の思い出

1dzysg9n 雨の天王寺交差点の歩道橋でつるりと滑ってお尻をどーんと打ったのは2日。
今日も尾てい骨と思われるところが少し痛い。

痛いなあという感覚にさそわれた記憶がよみがえります。

福岡は九州とはいっても日本海に面していて、冬は風が強くどんよりした雲におおわれる寒い日も多いのです。
それなのに、当時公立の小中高校に暖房設備はなかった。
それは九州だからかもしれません。
学校に通う道も、教室でも、冷えるわけです寒さに震えたりもするわけです。
高校卒業するまで、冬季はしもやけに悩まされました。
そりゃあもう、指を曲げるなら、青黒く腫れ変形しているあちこちが、プチっプチっと裂ける。
汁が出るし、かゆいし、痛い。
手袋も白金カイロも超必需品でした。

「しもやけに効く」ものは試してみる。
塩でもむと良いと聞いたのは高校一年生の冬です。
入浴時にお風呂場に小皿にたっぷり盛った塩を持ち込みました。
あたたまってジンジンする足と手をもみもみ。
効くかなあ、春まで治らないのかなあ、もみもみ。
塩、足りないなあ。

からだを流し、立ち上がってもう一度浴槽につかろうとしたときです。
つるんっ
どーっすんっ
パリンッ
ううっ…

つるんと滑ったときって、宙に浮く自分の足が見えます。
わたしのお尻に直撃された小皿は、お尻に張りついたままバリバリに割れました。
母がくる。
自分で触るのはまずい、はずかしい気持ちはすぐに捨て、
磁器の破片が残らないようにとりのぞき、処置してもらいました。

傷だらけのなんてかわいそうなわたしのお尻さん。
打った痛みに、流れた血の痛みに、こんなところにキズをつけてしまったという女子の痛み。

教室の椅子は硬くて、しばらく片尻で座ることになったので
問い詰めてくる友だちに事実を打ち明けないわけにもいかず。
風呂場に塩を持ってく人はおらん、そんなキズつける人もおらんよーと大笑いされ、
ごもっとも…と首をたれる。

その傷は本当に細かいケロイドになり残りました。

お尻のまんなかだった。
今日のわたしの痛いところが同じ場所なのです。

尾てい骨を打つとは、ここのこと?
しっぽがありそうな、そう、そこのことです。

ずいぶんな月日がたっているものです。
水色の丸いタイルが敷きつめられ、排水のために傾斜がある昭和の浴室の洗い場。
からだがどんどん冷えていき、泣きそうになるのをこらえた。

夜の空の星の光は凍ったクリスタルのかけら
ベッドの布団の中にもぐっても、なかなかぬくもらない。
うつぶせのまま、なにも考えられず、わたしの重心だけがうずき、
誰にむかってなのか、ごめんねと言いたくなったのでした。


Zynqauqf 傷跡はほんっとに薄くなりました。



2008年3月13日 (木)

なつかしくはある、限定リカちゃん

Yzpydxwp ポストに珍しい広告が入ってる。
部屋に戻り、ふーんと眺めると。
ん?
んんんっ??
広告じゃなく、ヤマトの宅配便、わたし宛。

こ、これは、母校の制服。
母校の同窓会の企画のようです。

創立110年記念の限定
母校の制服リカちゃん。
限定4000体、先着順らしい。
おひとり様5体まで。
冬服ブレザー、ブラウス、スカート
ソックス、靴、スタンド付
5980円。

へえぇぇぇ。
変なこと考えるなあ。

だけど、この制服はなつかしい。
胸のバッチは今でも持っています。
大妹も小妹も同じ制服を着て同じ学び舎で
それぞれの高校生活を送りました。



Zynqauqf 高いのか安いのか、わかりましぇん…
買う人、いるのかなあ。。。。



2008年2月24日 (日)

押入れの奥の売れ残り

Crj66jcc 昨年暮れから「いつものお掃除+10分」をつづけているんです。
すごい?
そうなんです。
引越しがしたい、引越しすることになるかも、いつでも引越しできるように。
それがテーマになって、今の家の中をじっくり見直しているところなのです。

ここに引っ越して10年が過ぎました。
同じ家に10年は長い。
意識せずにたまりつづけているものもたっぷり。
それにも向き合おうと思っているのです。

押入れの奥のひとつのダンボールを開けてみました。
1994年秋。
わたしの最初で最後の陶芸の作品展の売れ残りというのでしょうか、
パッキングされたものがそっとありました。
売れ残りというより、たくさん作ったものがあまった。
そういうものです。

あまり上手ではない。
だけど、悪くもない。
自分で「あと1年の修行が必要」と強く思っていたことの理由がよくわかる。
成形にしろ、釉薬にしろ、上手くなりかかったところで、一人前になるまでにはもうちょっとはがんばらないといけない。
そういう段階。

なつかしいなあ。
いろんな風景がありありと浮かんできます。

一気に処分しようと考えていたのが、これはできなかった。
箸置きがこの他にもたっくさん出てきました。
見るからに楽しそうに作っているのがわかります。
そうだったんだな。
香炉を作るのが気に入っていて、アロマ用のお香を炊くのによさそうなのをずいぶん作りました。

今見ると、上手とはいえないけど、楽しそうにしてるのがうれしい。
手が成長する過程に通らなければならない道を通過中。
そういうのが見てとれます。

1994年は、33歳。
若かった。
幼かった。
そんなときがあったということを認められる。

否定しなくてもいい過去があったことに感謝しつつ
新しいダンボールに詰め直しました。

使ってくれる人がいるとうれしいです。





Zynqauqf し、しかし…精一杯のヘタさって、どお?
何を悩んでいたのかもわかるというのはいいのかな。。。




2006年7月11日 (火)

コンコンチキチン コンチキチン

Bkeu_wab 京は祇園祭。
さぞや
さぞや
さぞや
暑いことでしょう。

学生時代の4年間を、夏は暑く、冬は底冷えする京都で過ごしました。
当時、エアコンをつけてる学生なんて、いなかった。
扇風機です、扇風機。
薄い黄色の扇風機。

わたしの部屋は、鉄筋コンクリート4階建ての4階。
最上階は暑い。
屋上に出て卵を割れば、目玉焼きができる、きっとできる。
水が出るというよりぬるま湯が出て、シャワーも髪を洗うときに少しお湯を使う程度。
水を浴びてもからだは冷えない。
その水はまずく、くさかった。
琵琶湖になにやらが発生していたのです。

4年間の4年目が最高に暑く、セミが異常発生して建物の廊下にごろごろ死んでいました。
無常感さえどこかへさよなら。
鳴き声が暑苦しくて「死にたえてくれ」と思った。
熱い、これは発熱しちゃってる、と体温計を取り出す。
デジタルではありません。
水銀の昔ならではのものです。
ふと見ると、最高体温の42度を振り切っています。
水銀が右端までぎんぎんにつまっています。
ああ…、割れないだけいいのかも。
この部屋は42度以上あるのね。
体温のほうが低いのね。
なんとなく熱を測るのが無意味に感じられ、いやいや、それとは別のことよ、と気を取り直して、ぶんぶんと振って水銀を下げ、ささっと脇の下にはさんだりしたものです。
のんびりしてると、またぐぐぐーんと上がってくる。
体温ものんびり測れない。

京都の夏は、ねとぉぉ〜〜っと爽やかさからは、はるか遠く、汗もだらだらとは流れない。
にょちゃぁーと出る。
体内に熱がこもる。

祇園祭はそんな夏のほんの始まりに雅やかにコンコンチキチンコンチキチン。
行われるのです。

わたしの野望。
あちこちの山鉾をじっくり見て回り、それぞれの手ぬぐいを買うこと。
10数年前にたてた野望です。
祭りのようすが好き。
手ぬぐいが好き。

もう7月11日。
それなら、すでに回り始めなくてはなりません。
なぜなら、宵々山、宵山あたりは、人が多くてもみくちゃ、暑くて汗べとべとで、夕立が降りがちで、わたしなら初デートにはまずは選ばない、という過酷さ。
お化粧した顔はぐっちゃぐちゃになります。

野望。
野望なのに長刀鉾の手ぬぐいが一枚だけしかありません。
このときは午後早いうちから出かけた。
いくつかの山と展示物を眺め、長刀鉾にたどり着くころには、すでに京都大丸あたりは自分の行きたい方向へ動ける状態ではなくなっていました。
「君、だいじょうぶか?」とおっちゃん。
「う、うん。手ぬぐいと長刀鉾のチマキだけは欲しいの」
「そうか、ほな、がんばろな」

そうです、がんばらないとだめだった。

長刀鉾の手ぬぐいは、毎年この柄なのでしょうか。

コンコンチキチン
コンチキチン
お囃子が胸の奥で鳴っています。

灼熱に眩暈する季節がもうすぐそこです。



2006年5月21日 (日)

チロルチョコは21円

Brvfs3_h チロルチョコの新製品が発売されておりました。
昨夜、レストランの帰りにコンビニで発見。
「かき氷チョコ 練乳いちご味」
ああ、夏です。
長袖では暑いような高気圧の到来。
陽射しは強く。
家中の窓をあけはなしています。

コンビニのカゴに入れていたのは
あいすまんじゅう、あいすまんじゅう、あいすまんじゅう、など。

レジのところでチロルチョコをカゴにぽい。
そしたらね。
そしたらね。

「えーーーっ!チロルチョコて1個21円もすんのかっ。そんなん、チロルチョコは10円でないとあかんわっ。」
叫んだのは、わたしではありません、ええ。

おっちゃん…
頼むから、そんな大声でチロルチョコは10円10円やで、と言い張らんといてください。

「しかも、小さすぎるわっ。」

わ、わかったから、おっちゃん。
少年の心を忘れてないのよね。
おっちゃんの脳裏に浮かぶのは、この3倍の大きさのヌガーの入ったあのチロルチョコ。
たぶん。
いや、間違いなく。

そ、そして。
そんな小さなチロルチョコに21円も出すやなんて…
という無駄遣いを責めるような視線はやめてくださーい。


2006年5月14日 (日)

あんこと機動戦士ガンダムと卒論

H3sxgi19 大学4回生の秋。
わたしは、とっても忙しかった、ような気分で毎日を過ごしていました。
卒論の締め切りは12月24日。
その数日前には提出したい。
なにより。
立派な卒論を書くつもりだった。

わたしが卒業した大学、当時は昼夜間合わせての男女の比率が10:1と言われていました。
そう、男ばっかり。
文学部だったわたしの周りでも、断然、男ばっかり。
女子は地味目真面目な人が多く、きちんと単位を余裕で取っていく。
そんな中で「おまえ…女のくせに、なんて崖っぷちなんだ…。め、珍しいぞ。ど、どうするんだ…。」とセンセに言われるくらい成績が悪かったわたしです。
「女のクセに」普段なら聞き捨てならない言葉なのだけど、センセの気持ちがわかったので、黙ってうなだれました。
「大丈夫なのか…おい…。」
はい…たぶん。

だけど、入学時に決めていたの。
卒論だけは、書ーく!(で、あとはどーでもいい)

ひとり学校の資料室に行きます。
つんつくつんつく、資料を探す。
ああ、英語だ…、しょうがない…。
日本語のがあればなあ、欲しいなあ。
あ、フランス語、む、無理だ…英語に訳されたのはないかしらん。
探す。
厖大です。

図書館へ行く。
ここでは、新しい資料を探すというより、資料を読む。

秋の日はつるべ落とし。
はぁ、疲れた。
学校へ行っても誰にも会わずに帰る日のほうが多かったかも。
原付バイク通学だったので、ぶぅーーんと帰宅。
その途中に和菓子屋さんに寄るのです。

京都はお寺が多い、お寺のそばにはもれなく和菓子屋さんがあります。
有名無名は関係なく、犬も歩けば和菓子屋さん。
ちゅんちゅん走れば和菓子屋さん和菓子屋さん。

勉強したあとは、甘いものが欲しい。
夜の勉強にそなえて、甘いものが欲しい。
わたしは、毎日、おまんじゅうを数種類買って帰りました。
まんじゅう系、おもち系、団子系、いろいーろ。
ああ、至福なり。

家に帰る。
そうすると5時半前なのです。
間に合うように帰る。
なぜなら、5時半から、機動戦士ガンダム(今で言うところのファーストです)の再放送が始まる。
それを見ーる。
まんじゅうをほおばりながら、シャア〜〜〜。
ああ、超至福なり。

卒論が書き上がるまで、そんな調子でおまんじゅうを食べ続けました。
第一回あんこ病は、このときなのです。
卒論を提出後、自然に治りました。

学んだこと。
*あんこは太らない。
*楽しみを持つことは大事。
*なぜ英語の論文を読めたのか謎。

現在。
*第一回あんこ病のときほど食べられない…。
*ひとつをしみじみ味わえる。
*丈夫な胃が欲しい。
*学んだことは生きている。



2006年4月 7日 (金)

おばさまパワーに沈没した日


思春期にニキビで悩んだことはありませんでした。
顔色が悪く目の下のクマがくっきりなだけで、さらさらだった。
高校の同級生が、あぶらとり紙で鼻をおさえてるのを、何してるんだろうな。
使ってみたくて。
「一枚ちょうだい」
「なんで、あんた、いらんやろ。」
「いいけん。一枚くれたっていいやん。」
「あんた、さらさらやん。もったいないけん、やらん。」
「いいけーん、一枚一枚一枚っ。」
ともらってみたはいいけれど、おさえてみても、何もつかない。

「だけん言ったやん。もう、もったいないっ。」
ごめん、でした。

そんなだったのに、ニキビというか吹き出物に悩み始めたのは30歳くらいから。
原因は薬だったのだけれど、そのときはわからずに、ずいぶん悩みました。
いくつかの皮膚科にも行き、化粧品ジプシーもし、それでも治らず、増える一方で、どうしよう。

八尾市に住んでいた当時、バスに乗り1時間かけて、陶芸教室へろくろを練習しに行っていたのです。
その日は、30歳のわたしから見れば、とっても年配のおばさま方のお友だち集団がいらしていました。
何度か会っていて顔見知り、休憩してお茶を飲んでいるときに、ふと思い立ち質問。
あのぅ、吹き出物で困ってるんですけど、何か良い方法はないでしょうか。
ご存知ないですか〜?

「まあ、吹き出物?あっはっは。」あっはっは?
「いいわねー。若いわね。おほほ。」おほほ?
「ニキビで悩むなんてうらやましなあ。わたしらなんかな、脂も出えへんねんで。」
「あっはっはっはっはー。ほんまや、ほんまやで。なあ。」・・・・・・・

す、すごい。
そ、そうなのか。
あぶらも出ないって。
質問の答えになってないけど。
あんたな、そんなん悩みのうち入らへん。
若うてええなあって笑われてしまった。
しかも、それで、おしまい。
話題、変わってるし。
悩み一蹴。
ぽつねん。
うわーん。

完全に力負けをして、ひとことも返せませんでした。

その後、どんどんひどくなり、吹き出物の周りが湿疹になって、原因が薬だとわかり、それを替えてもらうまで何年もかかったけれど、次第に治まりました。
よかった。

春は、肌荒れの季節です。
ほこりっぽいし、乾燥と急に強くなった紫外線で荒れやすくなります。
このごろ、カサカサして油分が足りないなあと思う。
あぶらとり紙が、またいらなくなってきた。
上等クリームが欲しいな。
そのたびに、おばさまたちの笑い声がよみがえるのです。

若い人の小さな悩みを笑わんようにしよう。
ううむ。
「小さな」と思ってしまうあたり、すでに立派にあの域に達しているのかもよ、わたし。


2006年2月16日 (木)

プラセンタ回想

Hmenudkl
高校三年生の12月。
大学受験まで、あと少しです。
受験勉強も、自分としてあと一歩はやっておきたいことがある。
そういうころでした。

わたしは、足も悪いんです。
今は、そっと歩くのに何も問題はないのでどうってことはない。
けれど、高校生活を送るには不自由極まりなく。
それとは別に「足がだるくて動かないなあ…。」
バスの乗降時の負担が大きくなってる。
それに、心臓が重たいし、苦しい。
心因性のものじゃない、と思いました。

学校のT先生が、そんなわたしに見かねたのでしょう。
漢方を扱う病院なのだけれど、ちょっと行ってみないか、と紹介してくださったのです。
わたし自身、病院に行く間があれば、寝てるか勉強をしていたかったのだけど、あと2ヶ月持つかどうか、不安は大きくなっていたので、母に無理を言い、連れていってもらいました。

ふだんの生活の様子を聞かれ、診察をちょっとしただけで、そのお医者さんはため息。
「勉強もいいけど、そろそろ休まないとね。死んでしまうよ…。」
「いえ。今、やめるわけにはいきません。」と若かったです、わたし。

検査をしました。
血圧は計測ができないほど低いし、貧血はひどいし、胃が何かをちゃんと食べられるような様子じゃない。
「しかも、いまどき、こんなひどい脚気だなんて…」と絶句の先生。
腱反射がないから、わたしの目にもはっきりわかりました。だら〜んとした手足。
ああ、ぽこぽこあちこち叩くには痛いですってば、先生。

母は「食べさせてますっ。」と大きな声を出していました。
「家族と同じものを食べさせてます。」
うん、まあ、そうだけど。
だから、病気にもなるんじゃないかなあ。

治療を始めても、ビタミンの吸収が悪くて脚気が改善しないんです。
吸収が悪い、そういう体質があるのだ、という話。
鉄剤を飲んだら、さらに胃が悪くなる。
「あれをやりませんかね。」
あれとは?
「勉強やめて、休む気はないんですよね?」ええ、もちろん。
「胎盤を埋めましょう。これ、効果あるんです。一時的だけど、違うんですよ。」

胎盤。
そう、人間の赤ちゃんが産まれるときにくるまれているお母さんのオナカの中の、あの胎盤。
なにがどう効くと説明を受けたのかは忘れてしまいました。
「一ヶ月に一回で、三回やりましょう。でないと、…だめですよ。少しはマシなはずですからね。」
そ、そお?

高校生のちゅんちゅんちゃん。
長い先のことまでは考えていなかったので、お尻にメスを入れて跡が残るなんてことの悲しさはちょっぴりしか悩みませんでした。
とりあえずは、今が大事。

処置室のベッドにうつ伏せに横になります。
お尻って、お尻の二上山の頂上付近です。
片方の真ん中あたりに、ブスリと麻酔を打つ。
「痛いですからね、ちょっと動かないで我慢してね。ぶす。」
くーーーーっ。
1分ほどおいて、カチャガチャと音がします。
メスが入った感触はわかりました。
「切ったのは1cmくらいですからね。さあ、入れていきますよ。痛くないからそのままでね。」
もしゃもしゃもしゃもしゃ。
ずくっずくっ、もさもさもさ、ぐぃぐぃぐぃ。
何をやってるんだろうなあ。

けっこうな時間が過ぎ、一回目が終了。
片方のお尻が野球ボールを入れたようにふくらんでいて、座れません。
「少しずつ、溶けていって、元通りになりますよ。」

翌月。
もう片方のお尻にブスリ。
わたしは、もしゃもしゃの音が気になって気になってしょうがなかった。
うつ伏せの状態から、首から上だけをひねって、処置中のところをこっそり見たの。
うっそーーーーん!!
ちょっとショックでした。
ステンレスの大きめのルート状のものがお尻にささっており。
その中に、もしゃもしゃの正体である、胎盤がぼっさぼっさに乾燥した藁みたいなものを、ぐぃぐぃ押し込んでいるのでした。
棒で。
あの、溢れかえる藁みたいなものが全部お尻の肉の中に入ってたんだ、入れてるんだ、と思うと、軽くめまいがしたので。
「今は考えるのをやめよう。」と思い目をつむりました。

野球ボールが入ってるみたい、との感想は間違いなかったんです。
そのくらいは十分入れてたもん。
三回目も終え、春、わたしは、入学のために家を出て下宿生活に入りました。

これが、今は、主に化粧品などに使われる「プラセンタ」です。
最近は、医療用にエキスの注射などもあるようです。
いいなあ、切らなくても使えて、と思う。

植物由来のプラセンタ、とか牛や豚のプラセンタ、と聞くとなんとなく怖い。
どこかの赤ちゃんを産んだお母さんの胎盤なんだ…って、いいのか悪いのかとても複雑で、涙が出そうだったことを思い出すので、化粧品では使ったことがありません。

わたしのお尻には三ヶ所にメスの跡があります。
でもね、さっき久しぶりに確認してみたら、もううっすらとわからないくらいになっていました。


ほら。
チューリップの芽がちょこんと顔を出していました。
あと少し。




2006年1月10日 (火)

ねえちゃん なんぼや?

Katzm4bc 悪い思い出です。

20代の後半、松山から大阪へ引っ越してきました。
おっちゃんの転勤です。
その頃は、まだまだ元気で、ひとりでどこへでも気軽にひょいひょい出かけていました。

「なんばより南にはひとりで行ったらあかん。」とおっちゃん。
西成の暴動からそれほど経っていなかった頃です。
わかるようなわからないような。
でも、理由もなくダメだと言うおっちゃんではないので、アドバイスは聞く。

ある日、おっちゃんの仕事が早く終わることになり、外でごはんを食べようと待ち合わせ。
通天閣の下で午後3時頃だったと思う。
真昼間です。
たまたま、その近くでの仕事だったの。
「ひとりで行っても大丈夫なの?」
「待ち合わせするだけやしな。大丈夫、大丈夫。」

ほんとかな…とちょっと心配な気持ち。
でも、まだまだ若いちゅんちゅんちゃんは、とことこと出かけて行きました。
地下鉄の駅から地上に上がってきただけで、なんとなく雑然とした町並みが落ち着かない。
通天閣はすぐにわかった。
おっちゃんが、待っていてくれることを願いながら到着。
まだだ…。
どこにも立っていたくない。
見回しても、女の人はいないし。
はっきり言って、怖い、すごく怖い。
おじさん、いえ、おっさんしかいない。

通天閣の入り口はフレンドリーじゃない。
劇場があって、そこへ降りる階段は奈落への穴のような気がしてしまう。
通天閣の鉄骨の下で、早く、早く、来てよぉぉ、と待つ。
おっちゃんは、来ない。

そのうち。
浮浪者のようなおっさんが近づいてきたの。
にやにやしている。
来ないでー!

「ねえちゃん、なんぼや?」
えええええーーーー!!
「なあ、ねえちゃん、なんぼやっていうてんねん。」
うわーーーー。

どこからともなく、おっさんたちがわらわらと集まってきました。
いちばん、人の少ない空間から、逃げました。
もう必死。
おっちゃんがやってきそうな道へ小走り。
「二度つけ禁止の串カツなんて食べんでいい。」
もう半泣きです。

おっちゃんが向こうから、悪い悪いと手を振りつつやってきた。
ののーんとした顔をしている。
「悪かったなあ、仕事がおそなって。どないしたん?」

買われそうになったんだよーー。
ねえちゃん、なんぼやって、なんぼって、なんなのよー。

おっちゃん、しまった…という顔をしてました。
遅い、遅いよ、おっちゃん。

今はずいぶんきれいになった通天閣付近。
新世界も観光客でいっぱい。
スパワールドもあるし。
でも。
わたしは、ぜーったい、ひとりでは行きたくないです。


2005年11月 5日 (土)

かたつむりを探して

かたつむりを最後に見たのはいつだったでしょう。
少なくとも、ここ天王寺にきてからはいちども見つけていない。
その前の記憶をたどってもずっと見つからない。

小さかった頃のお話です。


わたしは、学校を休みがちだったからというのもあるけれど、成績優秀だったのは意識的に勉強をした高校生のときだけです。
ぼーんやりしていて、ちっとも授業に身が入らない子でした。

特に小学生の頃は、いつも自分の関心事にしか興味がなかったの。
だから、学校の授業も「うわぁ」と思えばひと言ももらさず見て聞いている。
でも、一通り終わると次の項目に移っていく。
あたりまえですね。
そこで、わたしの関心はそのおもしろかったことで止まってしまうの。
「さあ、次にいきましょう」についていかない。

1年生か2年生のときです。
埼玉県のとある小さな町に住んでいました。
次の理科の授業のときには、かたつむりを持ってきてくださいね。
先生からのお達しです。
だから、梅雨の頃かな。
家の近くの原っぱですぐに探すことができました。
その頃、かたつむりが身近にいないなんて、なかった。
いちごの透明パッケージに大事に入れて持っていった。
授業で何を観察したのか、それは覚えていない。

驚いたのは、わたしがいつも見ているかたつむりの軽く倍はある立派な立派な大きい堂々たるかたつむりを持ってきている子がいたの。

欲しい。
自分で、見つけてみたい。

わたしの興味はそれだけになりました。
大きなかたつむりを持ってきている子は、全員、学校の東に住んでいました。
わたしは学校の西、町の中心部、商店街のほうに家があった。
学校は町外れにあり、その東には、行ったことがなかった。

ある日、学校から帰ってから、虫かごを持ちもう一度学校まで戻り、意を決して東のほうへ向かったのです。
ひとり冒険。
学校の東は、田んぼと畑と農家しかありませんでした。
広々とした畑。
歩いても歩いても、細い道と畑。
手入れをしているおじさんおばさん。
川がありました。たぶん、荒川の支流だと思う。
あまりに広すぎ、あまりにお天気が良すぎて、どうやってかたつむりを探してよいのかわからなかった。
むせるような土と植物の育ちゆくにおい。
酔ったように歩き回り、ふと気がつくと、なんとなく日が傾いている。

突然。
帰らなくちゃ。
自分がどこまで来てしまってるのかわからない、とやっと我に返る。
もう見て回るどころじゃない。
一目散に陽の落ちる方向へと歩く歩く、ほとんど小走りです。
後ろから何かが追いかけてくるようでした。

すぐにクラスメートに聞けばよかったのに。
ずっと、かたつむりのことばかり考えて、やっと男の子に尋ねたときは、かたつむりはいない季節になっていました。
理科の授業は止まったまま。
大きなかたつむりを手にすることはないまま。

わたしは大人になってしまいました。

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