声が出なくなったこと Feed

2008年3月10日 (月)

声が出なかった間のこと

Yhfonvxp 2月27日朝から3月10日朝まで。
声が出ず、話せなくなるという症状が回復する一般的な時間が10日から2週間と言われているので、ふつうの経過をたどりました。
これからは、ぼちぼちでいいし、治りは早いような気がします。

最初の頃は、まっすぐ歩けないとか、足に力が入らないとかの症状もありました。

なぜ、どうして、いつまで続く?といった疑問を経験から抱かずにすんだので、人との接触を断ちただじっとしているようにしました。
3月1日は観劇の予定があり、出かけるのに戸惑いがありましたが、タクシーで行き終了後すぐに帰宅というやり方であきらめずにすみました。
あとは、ただ、じっと黙って過ごす。

胸の奥から泡立つような苦しさを感じたときは、安定剤のホリゾンを服用。
冷静に冷静にと過ごしていても、話すことができないイライラは募っていき、
大きなストレスになったのでしょう。
てんかんの発作も3回。
これは多すぎる発作の回数です。

昨日がしゃべれないイライラの最高潮でした。
イライライライラ。
言いたいことが、言葉に、声にならない。
言いたいことがあるだけ良いのだと理解しながらも、伝えることができないもどかしさをどうしようもなかった。
治るのがわかっていても、そうでした。

音がだんだん大きく聞こえるようになり、耳をふさいでしまいたい。
物音がことさらに響くようになるんです。
すべてを断ちたくなる気持ちを抑える。

筆談にも飽き飽きしました。

おっちゃんは、できるだけふだんと変わらず接してくれ
いちじくぬぎは、次第に理解し、心配し、慣れ、寄り添ってくれました。

今朝、いちじく、と呼んだなら、目を丸くし、みゃーみゃーと返事をし、ごろごろと鳴らすんです。
くぬぎ、と呼んだなら、うわーんと足にすりすりしてきました。
でも、それにもすぐに慣れてきているようです。

ひとつの季節が終わった。
そういう感慨があります。
すっかり治ったわけではないのに。
楽観的です。

たびたび起こってもらっては困る。
3回経験すれば、もうけっこう。

本心だけれど、命にも大勢にも変わりはない。
不自由で困るけれども不幸せではない疾患です。




Zynqauqf これは、防備録のようなものです。
猫のようにいたいものですねぇ。



そろそろ回復へ

声が出なくなったのは2月27日。
そろそろ2週間だなあと思っていた今朝。
声というより息のようで、かすれているしほとんど聞こえないくらいだけれど
発声できています。

ああ…。
前もこんなふうだった。
少しずつしか戻らないのだけど、それでもいい。
ホッとした朝です。

心配してくださったみなさまへ。
ありがとうございます。
ぼちぼちの春が嬉しくてなりません。




Zynqauqf よ、よかった…。


2008年3月 2日 (日)

しゃべりたい

腹ふくるる
言いたいことがあるのに黙ってるのは
まさしくそんな感じです。
カエルのおなかのようにパンパンと張ってきてる。

うるるるる…

たとえば
大勢の中にいて、言いたいことはたくさんあるのに、声に出せずにいつも
胸にとどめたままにしているような日常。
大勢でなくても、相手が威圧的だったりで、黙りこんでしまいがち。
とても内気。
気持ちを言葉の乗せるのがうまくない。

そうやって腹ふくるる人もたくさんいるんだろう。
わたしが、おしゃべりで、のんびりだけど、言わなくてもいいよけいなことまでだだーっと。
だから、そんな風に思ったり。
「しゃべるのが好きじゃないだけ」でよけいなおせっかいかも。

しゃべるのは好きじゃないのは少数派かな。
そう思うのも、おしゃべり好きが周囲にも多いから。

あ、しゃべるのが好きといって浮かぶのは
明石家さんまと石破防衛相です。
ふたりとも、しゃべることができないとたぶん窒息。
ックワーッと。

イージス艦事件では、言葉を尽くして尽くして尽くしまくる石破大臣だからこそ、
ごまかしたこともごまかしきれない。
辞任を求める声も大きいけれど
仕事への態度はまぢめで、あの人をよくやっていないとは野党も言わない。

こんなそんなを、ほんとはしゃべりたいわけです。
とりとめもないのがいいの。
あっちこっち飛ぶのがいいの。
わおーん。



Zynqauqf しゃべるという言葉を使いすぎました…


慣れすぎの弊害はあるのかな

Skwy2ooy 声が出なくなったのはこれで3回目。
大学の1回生の2月。
11年前の3月
そして、今。

あらためて冬の累積疲労になんらかのきっかけがあっての事態だということに気づかされます。

最初は何がどうなって声が出ないのか全くわかららなかった。
神経だなんて考えもしなかった。
友だちに大病院の耳鼻咽喉科に連れていってもらいました。
当然喉に異常はありません。
アドバイスを受けることもなく、呆然と帰ったことを覚えています。
一人暮らしだったけれど、心配してくれる人がたくさんいて、2週間で声は戻りました。

2度目はすでにウツ病の治療中で祖母の看病や葬儀のあとだったこともあり、
すぐに精神科を受診し、抗不安剤を注射投薬。
ありがちなことだから大丈夫ですよ、ゆっくり休んでくださいとのこと。
すぐに理解できましたが、精神的には混沌を深めてゆき、予定された治癒にはいたらず
いったいどのくらい不自由なまま過ごしことでしょう。
1年近く発声できないままでした。
誰とでもどこででも話せるようになったのは4年ほど前のことです。

思い出すとため息。

繰り返すことへの不満はあります。
いやだなあ。
いやだけど、またしてもの事態に対しての冷静さといったら
自分でも驚くばかりです。

避けなければいけないことを、考える前に実行している。
早く治りたいと願うこともしない。
「早く」と思えば、早くないことがプレッシャーになるのがわかってる。

なんだかなあ。
あばずれオンナのようですね。

すごいのはいちじくぬぎです。
わたしの声をあてにしないようになってきています。
顔を見にくる。
寂しいような嬉しいような。

冷静でいられるのはいちじくぬぎがいるからかもしれないですね。




Zynqauqf 冷静ではあるけど、めんどくさいんです。しゃべりたいよぉ



2008年2月29日 (金)

早々朝のおそうじ

ぱっちり目が開いてしまって、枕元の携帯電話を開いて見ると
まだ朝の4時です。
暗い。

すぐに目をつむったけれど珍しく眠れない。
眠れないどころか、うずうずむずむず。
リビングのベランダの窓際の角を掃除したい。
したい
したい
したい
しちゃおう!

そぉっと起き上がり、着替えて、雑巾をしぼり、モップを持って、さくさくさくっと。
窓際の模様替えです。
いちじくぬぎのトイレの位置を動かし、出入り用の窓を反対側にし、そしたら、ベランダの鉢も動かさなくちゃいけなくなって。

ベランダにそっと出ると、外の空気は少しゆるんでいて、手がかじかむほどでもありません。
いちじくぬぎも起きてきて、何なのにゃ何やねん。

簡単に掃き掃除をして、見上げると南南東の低い月がうつくしい。

その後、ベッドに戻り、イヤホンで音楽を聴きながら夜が明けるのを待ちました。
今夜はちゃんと睡眠薬を飲むことにして
天気がよいのでカーテンを洗っています。
広々とした窓のまんなか、キャットタワーのいちばん上で
くぬぎが見張りに余念がありません。



Zynqauqf うーん、何日くらいで発声できるようになるでしょうか…


2008年2月28日 (木)

大きな感謝を

4vixiif_ 暖かいコメント
どうしたの?というメール、メッセージ

とても嬉しく読ませていただきました。
ひとつもお返事していないのです。
ありがとうございます。

話せなくなった、という同じ症状が出ても、
以前とは違うのだと感じることができます。

わたしを感じて見守ってくださる人がいる事実は大きい。
ブログを毎日書いてることの意味は大きい。

同じように眠って横になって過ごした今日でした。
更新したいなあ。
何もしないでおこうと思いつつ、やはりいつものように
こうしてパソコンに向かっている。

発声ができないというようなヒステリックな症状が出たときには、何もせず、情報も入れないようにして、ただじっと目を閉じて休んでいるのがいい。
また少し力が蓄えられてくるまで
休んでいるのがいい。

経験からの学習です。
「無理をしない」のむずかしさもわかってる。
性格から「自らを責めがち」というのも自覚している。

無理はしないでごろんとしているのに
つい
ああ、わたしって、どうしてこれくらいのことで、こうなってしまうんだろう。
なんてことを考えたくなる。

いちじくぬぎに呼びかけようとしてできないたびに、ふぅ。
いつもと違うことにに気づいたくぬぎ。
それでも、静かに一日が暮れようとしています。

明日は、あたたかそうです。




Zynqauqf 面と向かうおっちゃんがつらいですよねぇ…



2008年2月27日 (水)

まさかの朝でした

昨夜は就寝前までごくふつうにしていました。
帰宅したおっちゃんと少しおしゃべりして、ストレッチを軽く、アロマランプでローズの香り。
どすっと上がってきたくぬぎにおやすみを言い、ぐっすり。

冷え込みのきつい朝でしたね。
頭の中でなにかがぴりぴりと走り、からだの自由がきかないことから、
なかなか起き上がることができませんでした。

おかしい。
いちじくとくぬぎに呼びかける声が出ないのです。
声が出なくなってる。

おっちゃんが様子を見にくるまで、ぼぉっとしていました。
声は出ません。
おっちゃんの驚いた顔と、すぐにそうか…と合点した顔を見ました。

クリニックに連絡をして、指示をあおいでもらいました。
ドクターには月曜日に会ったばかりです。
声が出ないのは精神的ショックからだと思われるので、外出して診察を受けていろいろ説明しようとする負荷をかけるより、落ち着くまでじっと寝ているほうがいいだろう。
そういうアドバイスでした。
理解できます。

さあ、精神的ショックの心当たり。
ないわけじゃない。
だけど、嘆き悲しみ打ちのめされるようなことでは、まったく、ない。

これくらいのことで。
少しストレスがかかったくらいで。
ダメージを受けるわたしって、ひ弱すぎる。

心が特に弱いとは思わない。
このからだの感受性を、理解できない。

昼中寝て眠っていればよくなるかと期待していましたが
今のところ発声することはできないままです。

くぬぎは、おかしいことに気づいていませんが
いちじくは、なぜ呼ばないのか、なぜ黙ったままなのか
いぶかしく思うらしく、やたらと呼びかけてきます。
困ったなあ。

2004年12月 7日 (火)

前科一犯にならなくてよかったけれど

「おとなしそうでそんなことをするようには見えませんでした。」
犯罪加害者の周囲へのインタビューでよく聞かれるコメントです。
そして「その心の闇は?」などと手垢がついた言葉で問いかけをされます。

心に闇を持っていない人がいたらお目にかかりたい。
見えないから闇。
見せないから闇。

わたし、罪を犯す一線に立ったことがあります。
もうちょっと夫が止めてくれるのが遅かったら、人に怪我をさせていた。

てんかんにうつ病にパニック障害に、声が出ない話せない。
このだるさは、薬のせいなのか、病気のせいなのか。
この発作はなんの発作なんだろう。
筋肉痛がひどいから、打った跡があるから、てんかんの発作かな。
ぼんやり。
その後でいらいらする。
心の問題も沸きあがってくる、向き合ったほうがいいのか、後回しにしたほうがいいのかわからない。
先生に聞いてからにしよう。
事柄によっては「今はそのことを考えるのはやめましょうね、後にしましょう。」とアドバイスされる。
その理由はよくわからないけど、そのほうがいいということだけがわかる。
考えたくない。
判断力がない。

激しい混乱の中にいました。
家の中で座っているのだけど、その居場所も不確かになる。
立っている足元がふらふらして、腰から下の感覚が失われる。

そういうときです。
夫と気分転換にと外出をしました。
家にいるのさえ苦しくなっていたころです。
夫の腕をつかまないことには歩けない。

街の中は人がたくさん。
人の動きは散り散りで、アリがパニックに陥ったように秩序がない。
目線をどこにおいたらよいのか不安になってくる。
騒音だけが耳鳴りのように聞こえる。

わたしたちの目の前に、若いふたり連れの男女がいました。
細くて急な階段を降りている途中で立ち止まって動かない。
すぐ後ろにいる、わたしは前に進めない。

カーッとなりました。
右足を振りあげて蹴りおろす寸前で夫がからだを差込み止めてくれました。
それが、腹立たしかった。
とにかく邪魔でうっとうしくて目の前から消してしまいたかった。
止めてもらって良かったと少しだけ思いながらも、腹立ちがおさまらない。
内臓が飛び出しそうに熱い。

「ちょっとすみません。通れないですよ。」と言えなかったこともある。
でも、それだけじゃない。
今、思い出しても、熱くなってきます。
蹴らずにすんでほんとによかったけれど。

「キレる」というのはこういうことなのだ。

あのとき、蹴り落とし、怪我をさせていたらどうなってしまっていたのだろう。
わたしは、ちゃんと責任能力を認められただろうか。

「短絡的な犯行」
そういう見出しを見るにつけ、その背景の重たい広がりを思う。
犯行に至るか留まるかの境界線はどこにあるのだろう。
わからない。

ボールが転がってきた。
これだけかもしれないのです。

いまだに整理できない気持ち。
歪みのなかに、練りこまれてゆきそうになる。

暴力は許せない、認めない。
でも、自分の中にこれほど激しい衝動が起こった。
しかも、誰ともわからぬ関係のない人に。
わたしは忘れない、覚えておく。


2004年12月 2日 (木)

あれから1年


昨日は通院日でした。
12月だなあ。
そう思いながら、朝の青く高い空を見上げながらクリニックまで歩いて行きました。
いつも通りかかる幼稚園に、かりんの木があって、黄色い実が熟したまま、少ししなびてきています。
ざくろが実ったときも言えなかった。
かりんも、なかなか「ひとつください」と言えないのです。
気持ちよく歩いて到着です。

最近は急に具合が悪くならないかぎり、3週間に1度通うことにしています。
薬の量も加減も、今はこれがちょうど良いと納得できる状態なので、そのくらいで十分。
いい感じです。

予約は9時半。
実際に診察室に入ったのは10時20分くらいでした。
M先生は、時間を区切って診察するというよりそのときの状態では10分で終わることもあれば30分以上納得できるまで話をされます。
だから、待つのはしかたがない。
具合が悪そうだなあという患者さんの場合、もうのんびりかまえます。
こういうのはお互いさまです。

この日の診察の目的は、薬の調整について、近況、体調の報告、寝汗や微熱が続くことの質問。

それと。
「先生に初めてわたしの声を聞いてもらってから、ちょうど1年になりました。」

ちょうど1年前、やっとやっと、なんとかかすれた声で返事をすることができたのです。
もう家の中でなら、親しい人とは、ずい分楽に会話できるようになってきていましたが、一歩外に出ると、しぼっても反射的にでも声は出ない。
そういう時期が長く続いていて、どこで壁を越えられるんだろう、いやもうすぐ、大丈夫、でも、どうしてだろう。
念じて願って、そうしてやっとのかすれ声。

M先生、一瞬止まって、それから顔がくしゃくしゃになりました。
Mクリニックに転院してから、5年が過ぎていて、その間ずっと筆談での診察でした。
先生は、くしゃくしゃになった顔をすぐに元通りにして、緊張して震えて汗をかいているわたしが落ちつけるように「今日はもう話さなくていいですからね。」とニコニコとおっしゃいました。


「そうでしたね。そうでしたねえ。」
先生は、あの時のように顔がくしゃくしゃになりました。
それから、また。
一生懸命ふつうを装って。

師走の風はまだ冷たくなく、ジャケットを手に持って歩く人たち。
そんな光景も目に入るようにもなったんだ。
処方薬局から出てくると、太陽の光が弱々しくも眩しい。
少し目を細めるだけで受け止められる。
焦らないでゆっくりと。
ゆこう。
これからも。




2004年11月30日 (火)

障害者はしんどい

てんかんは、現在「障害者」として認定されるようになっています。
申請すれば精神障害者保険福祉手帳をもらえます。
精神病ではないのにおかしいなと思いますが、精神神経障害者への公的福祉サービスの遅れは驚くものがあり、声をあげていかなければいけない現実のほうが大切だということでしょう。

わたしは、子どもの頃からの差別意識や偏見を感じてきた現実に耐性がついていたようです。
法的に保護されるようになったといっても、気持ちは特に動きませんでした。
あら、障害者ってことになったのね、というくらい。
わたし自身に変わるところはさしてなかったのです。

でも、声が出せない話ができないということに関しては、全く別の自分がいました。
てんかんへの偏見の根深さといったら一筋縄ではいかないものがありますが、普段外を歩いていても見た目にわかるものではありません。
話せないということは、人の反応がダイレクトです。
それに慣れることはとても難しかった。

スーパーやコンビニで買い物するのはいい。
近所の顔見知りの人への挨拶も、こちらから会釈する。
怪訝な顔をされてもできるだけ気にしない。
宅配便のお兄さんにも無言でハンコを押す。
ケーキ屋さんでは、指でこれを2個くださいと示して済めばそれでいい。

でも、それでは無理なこともたくさんあるのです。
靴を買いたい場合、サイズや色や履き心地や少し違うデザインがないかどうかを会話しながら決めます。
食事に行って、メニューの内容がわからなければ質問がしたいし、聞かれたことには答えなくてはいけない。
電気製品が故障したら。
様々な手続きの詳細は。
病院の診察での質疑応答は。
とにかくありとあらゆる場所で、会話は必要だったんです。

「おじさん、このお魚、お刺身で食べられるの?どうしたらいい?」
「刺身でいけるで。さばいたるし、どのくらいいるん?」
「じゃあね、その半分でいいから。ちょっとおまけしてね。」
「はいはいー。おおきに!」

メモを取り出して、書いて見せる。
ほとんどの人が緊張します。
そして話せないということは聞こえないのだろうと思う。
だから「ふつうに聞こえるので説明してください。」と書く。
その文字が目に入らない人も多い。
人によっては、さっと逃げてしまう。
黙り込んで、ちゃんと説明できなくなる人もいる。
顔が引きつっている。
終わるとホッとしているのがわかる。
楽しい買い物には程遠い。
なんだか傷つく。

いちばんショックだったのは、お役所です。
戸籍抄本を他の府県から取り寄せなくてはいけなくて、その方法を区役所に出かけて行って訊ねました。
メモにその旨を書いて見せた。
「それやったら、本籍地のある役所に電話して聞いてみてや。」
と区役所の窓口のおじさん。
電話できないから来たのに。
わたし、あまりのことに、茫然と動けなかった。
そのまま帰宅しました。
区役所はガラガラでのんびりした時間だったのを妙に覚えています。

税務署でも驚いたことがあります。
確定申告の医療費控除の申告に出かけたのです。
担当のおじさん。
「この書類をあっちに持っていってくだちゃい。わかりまちゅか?」
ありえない。
わたしは赤ちゃんじゃない。
うなずくのをやめました。

経験しなければわからないことってある
でも、すべてを経験するなんてできない。
共感する力が欲しい。
想像力が欲しい。
その思いが募っていった時間でした。



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