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2007年9月16日 (日)

蜷川幸雄「エレンディラ」シアターBRAVA

0rqummqy 「エレンディラ」
作・マルシア・ガルケス
演出・蜷川幸雄
脚本・坂手洋二
音楽・マイケル・ナイマン

おもしろそうだと思ったのです。
蜷川幸雄の演出にしては駄作。
12600円は高い。
うーん、残念でした。

役者さんに罪はない。
エレンディラ役の美波が全裸で奮闘しているのがセツナイ。
そんなに脱がなくてもいいよ…と言いたくなる。
エレンディラの祖母役、瑳川哲朗はすごくいい。
今まで観た瑳川哲朗の中でいちばん、なのに。

どうやら脚本がよくない。
演出もどたばたしてうるさいばかり。
二度の休憩をはさみ三幕。
長い。

「蜷川も老いたかなあ」とおっちゃん。
カーテンコールのときの品川徹の渋い顔が印象的です。
駄作もありましょうぞ。

正午開演の芝居が終わったのはおよそ4時です。
「おなかすいたね」
大阪城公園から鶴橋まで足をのばしました。
久しぶりに韓国冷麺を食べたかった。
蒸し暑さは真夏並みでも、もう秋です。
だから、スイカではなく梨。
つるつるっと。
もちもちっと。

JR鶴橋付近の独特のにおいがなつかしい。
焼肉とキムチの混じりあうにおい。
鶴橋商店街で、焼きたてのチヂミと巻きたての韓国巻き寿司と豚足を買って帰りました。


2007年5月 9日 (水)

キース・ジャレット トリオ 2007

Vh3n_wmw 大学に入学した年に友だちのKちゃんの下宿で、
彼女がかけてくれた「ケルンコンサート」を耳にしたのが、キース・ジャレットと出会ったさいしょです。
ハミングとも歌とも言えない声がピアノの音の混じるのが新鮮で、カセットに録音してもらい自分の部屋で聴きながら眠ったものでした。

それから四半世紀を経て
おっちゃん曰く「この3人はジャズ界のほんまに大物なんやで」というキース・ジャレットトリオのコンサートに行ってきました。
2007年5月3日大阪フェスティバルホールはほぼ満員です。
年齢層は高く、珍しく男性客がいっぱいで、静かな興奮が満ちています。
ピアノ、キース・ジャレット
ベース、ゲイリー・ピーコック
ドラム、ジャック・ディジョネット

3人ともすっかりおじさまで猫背。
キース・ジャレットはとても小柄で細身。
その小さなからだがピアノの椅子にちょこんと座り、背を丸め、鍵盤に指を置き、さあ、音を楽しみましょう、はじめますよ。
指に力がこめられると会場の空気がそこへ吸い込まれるようでした。
彼らの世界。
年齢は老いではなく、大人の大きさと余裕であることを感じさせ、包まれるようです。
演奏は瑞々しく今日はじめて生まれる音たちは、目の奥から頭の中を響き渡り、つーんとうしろへ抜けてゆきます。

これがこんなに広い会場ではなく、ライブハウスでお酒を飲みながらだったらどんなにすてきだろう。
そう思わずにはいられない。
ああ、もったいない。

ひとつの音が次の音を誘い、また次の音を誘い、つむいでいく。
ベースはなんとも枯れた音色で。
ドラムはこんなに上手に百色叩くことができるのかという自在さで。
ひょうひょうとした3人は休憩を含む2時間半、充足したときを過ごさせてくれました。

キース・ジャレットは、一曲を終えると、立ち上がり、4〜5歩ゆっくり歩きながらタオルで汗だくの顔をふき水を飲む。
天才ってことばが浮かんでくる。
アンコールは2回。
キースの最後の音は、今日はこれでおしまいですよとやさしく告げ、
会場の空気をまとめあげたのでした。




Zynqauqf ひゅーー、うぅ〜〜〜ん♪とうなるキース♪ おねがい、ぽちっと、ぽちっとな!!

2006年11月13日 (月)

エリック・クラプトン 大阪城ホール2006.11.12

Tfk8rhfs 「ホールの中は暑いよ」
わたしがそうアドバイスしたので、
ジャケットの下は半袖のTシャツに着替えた
おっちゃんでした。
もちろんわたしも。

ところが12日はとても11月らしい鼻腔につんとくる空気の冷えた日でした。
「しもた、寒いなあ」
大阪城公園の紅葉はまだまだで、ホールに向かう道すがらは、アマチュアロックバンドが等距離をあけての演奏大会。
たこやき、いかやき、カステラボールの屋台がつらなりにぎやかです。

見回すと、わたしが通常大阪城ホールでのライブに行くときと年齢層が違う。
大幅に高い。
しかも、おっさん度がめちゃくちゃ高い。
ヒゲズラにクロスのペンダントを下げた60歳近いおっさんが探さなくてもぞろっといる。
なんとなく、くちゃい。
おっちゃんくちゃい。

夫おっちゃんは、苦笑い。
お芝居やコンサートでいつも「ああ、今日も女性客が9割や…」と嘆いているおっちゃん。
同世代が大勢おっさんになってうきうきしている姿を自分と重ねると少々物悲しくもあるようです。

Jw33___e エリック・クラプトンは61歳。
3年ぶり17回目の来日だとか。
日本語は「どぅも、ありがとーー」のみ。
スリーギターで9人編成のバンド。
ステージは、これ以上シンプルにはできんだろうというくらい何もなし。
照明は、こんなに古臭い色構成デザインを今どき誰がしたんだろうというレトロタッチ。
衣装は、普段着だろうというエコスタイル。

演奏は素晴らしかった。
歌声のギターにも衰えは感じられず、いい感じです。
わたしは、彼をほとんど知らない。
曲と曲名が一致するのは「いとしのレイラ」だけ。

その「いとしのレイラ」のイントロで、アリーナ総立ちです。
おっさんも、立ーつ!
それから最後まで、立ーつ!!
盛り上がーーーる!!!
演奏はとてもよかったのだけれど、いつも耳にしているレイラとは違う…と思う。
アンコール1曲をふくめ全18曲はあっという間でした。

帰り道。
おっちゃんに「レイラはよかったけど、わたしはちょっと違った」と言ってみました。
「そりゃ、しゃあないで」なんで?
「あのレコードの録音に参加したギタリストはな、デュアン・オールマンゆうてなめちゃめちゃ上手い人やねん。それを求めるんは無理やな」…ふーん、そうだったのか。

Pgqd_on8 食事を済ませ家に戻ります。
それから、おっちゃん主催のエリック・クラプトン視聴会になりました。
あれこれ説明つきで聴かせてもらいましたが、よう覚えとらんとです。

猫に小判。


2006年8月 8日 (火)

「あわれ彼女は娼婦」シアターBRABA!8月6日

Bz9_dz5q どうやら悲劇らしい。
蜷川幸雄演出で三上博史と深津絵里が主役。
それだけでチケットを買ってしまいました。

この戯曲を書いたのはシェイクスピアと同時代の
イギリス人ジョン・フォード。
全く知らない。

家柄もよく賢い兄(三上博史)は留学先から戻ると、あまりに美しく成長した妹(深津絵里)に道ならぬ恋をしてしまうのです。イカンやん。
僧侶に諭されたところで鎮まる恋心ではなく、妹もまた同じ気持ちであることを知り、兄妹は思いをとげ、そのうち妹は妊娠。イカンやん。

世の中は腐敗していました。

聖職者も貴族も軍人も我が身のことのみを優先し、名誉とお金が結びつき、道理は失われ、人々は欲と復讐心でのみ動く。
そういう人間のひとりである裕福な貴族の男(いつも振られ役・谷原章介)は、数々の恨みをばらまきつつ生きてきて、美しい身重の深津絵里と結婚。

すぐにその妊娠に気づいた谷章は、ただお腹の子の父親が誰であるかのみをぼこぼこに追及する。
そこには愛なんてないの。

復讐に巻き込まれてただひとりいた無垢で誠実な貴族ピエロ男は間違えて殺される。
罪を犯しても保身に走る軍人、身内とあらば信念も簡単に曲げる枢機卿。
復讐は復讐を招く。
会話し許す意志のないところには何も生まれない。
救いは何もない。

純粋に見えるのは兄妹の間にある欲得ない結びつきのみ。
追い詰められ、特別なものと化した兄の魂が選んだ惨い結果とは……


三上博史と深津絵里の演技力は圧巻。
ふたりとも期待を裏切らない見ごたえのある、キレと華とはかなさと強さのある演技で楽しませてくれた。
近親相姦はイカン、のに、このふたりだけが際立って美しく見える。
ドラマでも振られ役の谷原章介は、舞台役者としてはまだまだ、からだは硬く棒立ちのシーンもあったけど、でもハンサム。

時々の状況により適当に流されて生きる大人たちを上手く演じた脇役陣も上等。
簡素な舞台を縦横無尽に活かす照明のマジックに美しい衣装。
蜷川作品はこれだからつい観たくなる。

戯曲が発表されたとき、兄妹の恋愛を描いたことで大きな衝撃を与えた、らしい。
登場人物は良さげな風貌でありながら誰ひとり追い詰められてゆくふたりに寄り添う人はいない。
私利私欲で動くさりげない人がいるだけだ。

悲劇を生む土壌は今ここそこにもある。



*ビラ撮影協力:くぬぎ



2006年6月30日 (金)

「地球ゴージャス〜HUMANITY〜モモタロウと愉快な仲間たち」

Rdvyhfal まちがった…。
肥後橋のフェスティバルホールじゃなくて
なんばグランド花月の吉本新喜劇にきてしまった。
そう思いました。

岸谷五朗の書いた戯曲、寺脇康文と組んでの演出。
ミュージカル「モモタロウと愉快な仲間たち」の出演者はゴージャス。
軽い演技も得意な唐沢寿明、劇場のすみずみまで通る美しい声は戸田恵子、意外だった演技力と力のある歌声の高橋由美子、ブレイクダンスのPaniCrewの植木豪、コテコテの大阪弁にお色気たっぷりの蘭香レア。
総勢47人。

観客は大爆笑。
わたしも、一緒に行ったまにまにちゃんも、わっはっは、わっはっは。
ちょっと待って、お芝居を観にきたんだよね、吉本じゃないよね、くすす。

昼夜2回公演の昼の部だった舞台挨拶では、
「こないに笑ろてもろて、2回公演きついわ思とったんやけど、元気もろた〜、夜もなんとかなりそやわ、なあ?」と蘭香レア。

ここは大阪だからね。
ほんとにおもしろくないと、笑わないから。

岸谷五朗の言いたいことは、とてもシンプル、とてもふつう。
終わりのない日常を、あきらめてだらだら生きるのはやめようよ。
一歩踏み出す勇気を持とう、惰性から抜け出た世界を見よう。
ぶつかってみないと、許すきっかけだって見つからない。
手をつなぐこともできないよ。
あなたは、楽しむってわかる?

「ふつう」がいちばんむずかしいから。
「シンプル」は心もとなくて怖いから。


この日。
まにまにちゃんが家まで迎えにきてくれました。
おしゃべりしつつ、お昼ごはんに、おいしい油そばを素早く作ってくれて。
わたしたちは、地下鉄御堂筋線の天王寺の駅の改札を通りました。
精神障害者手帳を交付されてから3ヶ月。
大阪市営の地下鉄バス等の介護人付き2名無料のパスも同時に交付。
それをはじめて使いました。
電車にひとりでは乗れない。
地下鉄は肺がじわじわと膨らんで眩暈に動悸に…とにかく怖い。
空間の認知がうまくできない。

もしひとりで乗れるなら、改札にカードを通して使う。
付き添いの人と一緒の場合には、改札横の係の人にパスを見せれば改札を開けてくれる。

65l7sdlp なんだか声も出なかったような気がする。
パスを見せただけ。
こういうとき、なんて言うのかな。
まにまにちゃんがついててくれるから、平気。

帰りも同じように地下鉄でパスを使って家まで送ってもらった。
ありがとう。

自分ひとりではできないことがたくさんあります。
わたしに力をかしてください。
お返しはきっとできない。
どうやったら、それがお返しになるのかわからない。

いつかのいつか、ひとりでパスを使ってみるから。
いつかのいつか、もっと元気になるから。

わたしは楽しかった。
わたしは、頭がからっぽになるくらい楽しくて。
ありがとう。


モーモタロサン モモタロサン お腰につけたぁきび団子ぉ
ひっとつ わったしに くっださいな


みなさんのきび団子。
ひとつわたしにくださいな。



2006年5月 9日 (火)

世界遺産劇場:東大寺能・狂言の夕べ5月6日

5esrvfvp GWの予定はこれだけです。
これだけ、が出かけられるかどうか不安だった。
体調不良もはなはだしい。

5月6日の夜の天気が怪しい。
わたしは、朝起きてから、パンを口にしただけで、午後もぎりぎりまで寝ていました。
夫おっちゃんと楽しみにしていたこともあり、ふらふ〜らと立ち上がりどうにかしたくをする。
奈良に着いてもめまいが続いていて、とにかく食事。
食べんとな、うん、食べないとね。
東大寺前の露天商はすでに片付け始めていました。
日が傾き一日を過ごした人が駅へと向かう流れを作っています。
わたしたちの時間はこれから。

「世界遺産劇場」とは
日本各地の世界遺産を舞台に劇場空間を設定。
伝統芸術にとどまらず創造的な舞台芸術活動を展開し、世界遺産の認知とユネスコ運動の普及と啓発を目的としたプロジェクト。
有形、無形の文化財の融合を具現化したのがこの催しということです。

能も狂言も観るのははじめて。
プログラムは
舞囃子:東方朔 おじいさんの舞がすごいと思ったら人間国宝の片山九郎右衛門という人でした。

狂言:鐘の音 太郎冠者を野村萬斎

能:安宅ー勧進帳

知らないのだから、目に映るまま、耳に聴こえるまま、感じるままでいい。
曇り空の大仏殿に帳が下りるころ、太鼓や笛や地謡の調べが静かに劇的に別空間へと導いてくれます。
空を見上げれば、黒い鳥が二羽、大仏殿の向こうへ飛び去り。
月影が雲におおわれてゆき、どんっ、と床を踏み鳴らす音は。
ああ、大仏殿の床なのだ。

Lkr9bxey 冷えてきました。
今にも雨が落ちてきそうな気配。
足元は芝生。
低気圧の風が幕をふくらましては引く。

野村萬斎は、テレビで見るより、想像していたより数倍カッコいい。
際立って違う何かを纏うひと。
緊迫した細面の視線の先が美しかった。

終幕と同時に雨がぽつぽつ。
奈良の街は、夜が早い。
急ぎ足で引き上げる人たちのうしろには、祭りのあとも覆うような闇が残るのでしょう。

振り返りもせず。
電車の中では目をつむったまま、喧騒の天王寺に戻ってきました。



2006年1月23日 (月)

「12人の優しい日本人」2006.1,19シアタードラマシティ

Cjopczql あまりからだの調子が良くない1月です。
ちょうど1年前の同じ日、同じように調子が悪く。
同じように観劇に出かけ
翌日、救急車を呼ぶ騒ぎになりました。
1月19日。

どきどきが大きくなる。
胸の中の風船がどんどんふくらんでいく苦しい感じ。
寒気がやってきた。
劇場は人がいっぱいで怖い。
緊張で眠れない、食べられない。

観劇のときは、毎回多かれ少なかれこんな様子。
きゃーーーーーーっと。
叫びだす寸前の状態で幕があきます。



もしも、日本に陪審員制度があったなら…。
1990年に三谷幸喜が脚本を書き、東京サンシャインボーイズで上演された作品の再演です。

12人はひとつの部屋の大きな円卓を囲み、話し合います。
子連れの21歳の離婚した女性が、復縁を迫る元夫と言い争いになり、人目少ない交通量の多い国道沿いで、勢いあまって元夫を突き飛ばしトラックに轢かれ死亡した事件において、彼女は有罪か無罪か。
多数決ではなく、12人の総意でもって決定しなければなりません。

「無罪でいいんじゃない」と12人。
「ち、ちょっと待って。それじゃあ、いけない。もっと話し合いましょう。」
とひとりが有罪を主張するところからはじまるズレにズレてとりとめがない主張の沸騰で芝居は終始します。

日本人ならではの曖昧さ、優柔不断さ、付和雷同ぶり。
成り立たない議論、誰かがすぐにはずしてしまう論点。
客席から笑いがこぼれます。

有罪かもしれないけど無罪。
12人がひとつの結論に至るまで、生きつ戻りつ、もういいじゃん、あきらめたらだめだ、私の意見はあとでいいです、こんなのむだだ無罪でいい、ねばりましょう有罪かもしれない
いったいどうしたいんだ、うーんと次はあなた、おれはどうでもいい、おなかがすいたわ、無罪の理由は…直感です、休憩しましょう、そうしましょう、最後まで話そう、個人的な話はするな、やっぱり有罪?うんそうかも、そうだよね、ほら、殺意の証明できます、美人は人を殺さないんだ、ぢゃあ、おばさんはうそをつくのか、死んじゃえーー
……、いやだ、よくわからないけど無罪だもん、無罪ったら無罪

背景を異にする12人の、確かに優しい日本人たちは、螺旋を描くような話し合いの中で、それぞれの納得する落ちどころを見つけ、一気に氷解するのです。

陪審員のキャラクターはそれぞれ際立ち、あっという間に劇中に引き込まれ、おかしみと苦笑いとせつなさと反省と、観ているすべての人の胸にどこか覚えのある日常が渦巻く人間ウォッチングコメディは見ごたえがあります。

裁判員制度の実施は2009年。
「もしも」だった初演当時とは社会が変化しています。
人が人を裁くとことが自分のことになるかもしれないという今に、三谷幸喜が15年前に書いたとは思えない新しさをもって、笑うだけでなく問いかけも受けるのです。
「あなたならどお?」

テレビでも活躍中の役者ぞろい。
12人が出ずっぱりの密室劇のコメディのおしまいは、少ししんみり。
人を裁くとは、自らへの辛い問いでもあるのです。
Q5mnmudh


今年は、翌日も疲労が残りながらも、無事。
大丈夫かな?と心配もかけました。
大丈夫。

終演後、珍しく男性客の多い出口です。
パンフレットはどうしようかな。
キャストのポスターを眺めてあの人はなんていうひと?なんて話ながら。
ふと見ると。
陪審員ナンバー7の温水洋一(ぬくみずよういち)Tシャツがハンガーにぶらさげられ、揺れているではありませんか。
あ、あれが欲しい…。

Q_r0mj5s 目を合わせると、同じことを考えている友だちが輝きでスパークしそうな顔をしています。
「買おう!」

三谷幸喜画「有罪だけど無罪だな」まっかっかTシャツです。
長袖です。
まぢ、かわいいです

2005年11月 3日 (木)

「天保12年のシェイクスピア」シアターBRAVA!

I_i3uzng もっしっも シェイックスピッアが いなっかぁったらっ♪
文学博士になりそこねた
英文学者がずいぶん出っただっろぉ♪

もっしっも シェイックスピッアが いなっかぁったらぁっ♪
全集が出せずに儲けそこなって
出版会社はつくづくこっまったろぉ♪

もっしっも シェイックスッピアが いなっかぁったらっ♪
大入り袋の出しようがなくて
プロデューサーったっちっが ほとほとよわぁあったっろぉ♪

シェイックスッピアは 飯の種っ♪
あの方がいるかぎり飢えはしない
シェイックスッピアは 米の倉っ♪
あの方がいるかぎっり死にはっしないっ
シェイックスッピアはノーッスッペアッ♪
あの方に身がわりはいっないっのっさっっ       by 井上ひさし


グローブ座を模した舞台が、百姓や墓堀人夫のエネルギッシュなえっさほいさの働きで。
江戸末期、天保の下総の国、清滝村に一変する。
グローブ座は、16世紀イギリス、ロンドンのシェイクスピアを主に上演したエリザベス調の劇場です。
舞台の真ん中に、格調高い柱が二本、演出に奥行きを出すためだったのだろうけど、観劇するのにはとてもジャマ、だと思う。
その二本の柱を百姓たちが切りとって、はずして持ち去ってしまったの。
「もしもシェイクスピアがいなかったら」を歌い踊り、グローブ座の権威を否定。
すでに、現代の戯作者井上ひさしと「世界のニナガワ」が組んだ世界にあっという間に引き込まれていきます。

「天保12年のシェイクスピア」は井上ひさし作、1974年が初演のシェイクスピア37作品、すべてを盛り込み書かれたもの。
それを、シェイクスピアなら蜷川幸雄、が百戦錬磨の活きのいい豪華キャストで再演。
そりゃあ、もう、おもしろいったらなかった。
休憩をはさんでの4時間。

その豪華キャストは、唐沢寿明、篠原涼子、藤原竜也、夏木マリ、高橋恵子、木場勝巳、勝村政信、西岡徳馬、白石加代子、などなど。
音楽は、宇崎竜童。

「リア王」「ハムレット」「リチャード三世」「ロミオとジュリエット」を主軸にして、喜劇に悲劇、歌あり踊りあり、リアルでシュールで、場面場面が打ち上げ花火のように弾けて光を放ち、舞い、それが終演までつづく。
観客は、華やかな瞬間の連続に、目を奪われ、輝かせ、楽しそうに演技する役者たちの一挙手一投足に、退屈知らず。

江戸末期、外国船があらわれ、農民は貧しく、爛熟の果ての腐敗。
そんな時代を背景に、井上ひさしのことばの洪水は、今の世の中を鋭い皮肉で笑う。
何頭もの暴れ馬のような役者たちを思いっきり走らせながらたずなをさばく、蜷川幸雄。

もっしっも シェイックッスッピアが いなっかぁったっらっ♪
チケット16800円で高いと思っても
こんなにおもしろい芝居を観られなかったろぉ♪ 

もっしっも シェイックッスッピアが いなっかぁったっらっ♪
エッチできらきら煌き 自由に飛んでゆきそな藤原竜也
うっそーんこの前と全然違うわと心で叫んで幸せなわたしに出会えなかったろぉ♪  
                           byちゅんちゅん

Ienrloh6 10月30日。
シアターBRAVA!は補助席まで満員。
9割以上は老若女性。

ハロウイーン前夜。
異世界に遊んできました

2005年6月20日 (月)

オトコマエ熊川哲也・Kバレエカンパニー「白鳥の湖」はゴージャス

6月18日午後、フェスティバルホールは女性であふれていました。
演劇でもバレエでも、女性ばかりだな。
子どもがたくさんいるのは、習っている子たちなんだろうな。

白鳥の湖。
あまりにも有名だもの、知らなくったって。
いいものはわかるよね。
バレエを観るのは初めてのわたし。
「あの」熊川哲也だもん、それを見ておくのっていいよね。

幕が上がる、観客の興奮が伝わってくる、管弦楽の生の演奏の音が響く。
美しく凝った舞台、それはそれは美しい衣装、美術にも思い入れたっぷりだ。

1幕の群舞が始まる。
くるくるくる。
ん?これは…わからない、どうしたんだろう。
悩めるわたし、考えるわたし。
群舞とは、一糸乱れぬ踊りのことを言うのではないのだろうか。
バラバラだもん、足音がどすどすだもん、いちじくとくぬぎがリビングを駆け抜ける音みたいだもん。
ま、まあ、いい…まだ始まったばかりだし。

2幕、白鳥オデット登場。
群舞で踊っていた人とは明らかに違うの。
何が違うってからだが美しい。
骨も体重も感じさせない、手が長くしなやかで足が細くどんな角度にも曲がるのね。
こんな体勢で静止できるのね。
華奢で繊細で美しい白鳥と王子熊哲は恋に落ちる。
でも、群舞が…。
そして、熊哲からは恋に落ちるというより「オレっていいだろ?」ぷれいぼーいのオーラが漂うの。

3幕になってようやくからだが前に乗り出す。
黒鳥が悪魔ロッドバルドに率いられ登場。
黒鳥オディール役の人も上手、切れのある踊り、見ごたえのある安定した速い回転。
上手だけど、足が太いなあって思う。
伊藤みどりの太ももが残念だったみたいに。

古典的白鳥の湖は、白鳥と黒鳥はプリマがひとりで演じ分ける。
それを別々に配役している、これは斬新、みたい。
ロッドバルドも王子を陥れる演技で存在感たっぷり。
黒鳥の誘惑、王子との恋が盛り上がる盛り上がーる。
熊哲王子、見事なジャンプジャーンプと回転をここで披露、会場は怒涛の拍手喝采。
「これが見たかったのよっ!」って感じ。
うん、そうね、わたしも、これはすごいって思う。
興奮。

驚きの4幕です。
白鳥黒鳥悪魔に王子、全員が出てきたし。
なんと!
瀕死の白鳥は、悪魔と黒鳥に弄ばれ疲れ果て、身を投げて死ぬ。
後悔の王子は後を追って身投げ死ぬの。
そして、天国で結ばれちゃった。
これまた斬新、だよね?

カーテンコールが続く続く続く。
スタンディングオベーション。
なぜ〜、もう、いいってばー。

わたしの後悔。
古典的なクラッシックバレエ団の公演をいくつか観ておけばよかった。
比較ができない。
よし、次はそういうのを観る、ぜひ観たい。
不思議なからだのひとたちが表現する美の世界をうっとりたっぷり堪能したい。


踊りが揃わない群舞。
専門的なことはわからない。
振り付けが変わっていて、そのせいなのかもしれない。
でも。
揃わないだけに、上手じゃない個人が浮かび上がる。
この人たちは何を思っているんだろう。
「わたしは、ここまでこれたから十分だわ、満足よ。」
「ああ、群舞がわたしの限界なのかしら。ここで終わるのね。」
「さあ、わたしはここからもっと先へゆくのよ。」

白鳥を踊った人は、康村和恵さん。
この人のからだは明らかに他の人とは違った。
いったいどのくらいの妬みや嫉妬をかうんだろう。
「あの子はからだが違うもの。」
わかってはいても、言いたくなるものじゃないんだろうか。
「わたしだって、あんなからだに生まれていれば。」
努力でどうにもならないもののはけ口にされたりするのじゃないのだろうか。

ストイックな強い精神と身体を要求され、そうして踊り続けてきて、今この舞台に立っている人たちなのに。
そんな楽屋裏にさらりと置いてきているだろうことが、脳裏をよぎる。

美しいものが、美しいだけで存在することはない。
美しければ美しいほど、その影や陰は濃いのだと思う。
その陰影を個人の中に見ることは多々あるけれど。
揃わない群舞がそんなことを想起させるなんて。

圧倒的な存在の前では浮かびようもない些少なこと。
実験的な試みが成功する途中のジレンマのようなものなのかな。

1幕の群舞にわたしが悩んでいるとき、右隣の夫は、うとうと、ぐぅ。
左隣には、モスグリーンのノースリーブのワンピースもシックなまにまにちゃんが。
ああ、首をかっくん。

きれいなピンクなチュチュがくるくるくる。
さあ、おねむりなさぁ〜〜い。
前の座席の子どもたちも眠っていました。


今日は通院日。
梅雨とは思えない暑い日になりそうです。
行ってきます。




2005年6月11日 (土)

「黒蜥蜴」美輪明宏は美しかった

8u3pnng9 10代の頃、実家のわたしの部屋、ラジオをつけていました。
FM福岡じゃなくて、地元のAM局。
夜中になるとオールナイトニッポンなんかも聴いた。
学校を休んでいるとき、なんとなくつけていることも多かったな。
何曜日の何時だったかは忘れたけれど、美輪明宏の人生相談のような番組があったの。
実物を見たことはなく、その声だけを知っていた。
美と情のひと。
不思議な囁き声の人だと思ってた。

1983年の春。
寺山修二が亡くなった。
彼の何かを理解できていたわけではないけれど、演劇も映画も詩もとても魅力的で。
怖いような世界に触ってみたくて、遠くまでお芝居を観に行ったりもしていた。

同年6月、東京渋谷のパルコ劇場で「毛皮のマリー」の追悼公演。
初めて、生の美輪明宏を見た。
伝わってきたのは、ひたすらの悲しみ。
彼以外の出演者は誰も覚えていない。

今、テレビでよく見る美輪明宏は、黄色に染めた髪、イッセイミヤケのプリーツプリーツの服。
恰幅の良いからだというより、少々太りすぎな印象。

5月29日、大阪厚生年金会館のホールは満員だった。
三島由紀夫脚本の「黒蜥蜴」を観た。
舞台の美輪明宏は美しい。
セリフの言葉の美しさが、歌うような語りかけで胸に染み入る。
少し太りすぎじゃないかと思っていたからだも、舞台の上で豪華な衣装を纏うと圧倒的に映える。
きらきら光るアクセサリーの輝きが、ああ、本物なのかなと思わせ、それが耽美的な世界をリアルにする。
ドレスの裾回しが見事だ。
あんな風に動ける人がいるのかな。
耳をそばだて、セリフを聞き逃したくない。
明智探偵役の高島政宏が、想像していたよりいい。
この人も舞台栄えする人なんだな。
大柄な美輪明宏と並んで遜色なし。

惜しいのは演出だ。
美輪明宏は演出は上手くない。
休憩3回の4時間は、軽く30分は短くできるはず。

カーテンコールに並んだ人数がすごいのだ。
多すぎる。
半分でいい、というか半分もいらないくらいで構成できる。
ほんのちょい役で若い人を使っている。
観ていられないくらい演技が下手だ。
その分、長い。出番を増やしているとしか思えない。
ひとり2役でも3役でもいいんじゃないのかな。

ああ、そうか、と思う。
彼の周りにいる若いひとたちにチャンスを。
利益度外視なんだろう。
あんなにたくさん連れて回る必要がない。

「美と情のひと」

2幕の終了後の休憩時間、係りの人が会場中にキャンディをカゴに入れて配る。
囁くセリフを小さな咳払いが邪魔をするから。
乾燥した喉を少しでも和らげてくださいね。
ひとつもらって口に放り込む。
美輪明宏がお客さまに行き渡るようにねと言ったのだろうかなと思わせる。

不必要なシーンが多いため舞台としての完成度は低くなる。
演出をもう少し絞れば…と残念に思う。
だけれども。
美輪明宏の人を楽しむにはじゅうぶん。
自分のための舞台でありながら、観客席の隅々にまで人を思う気持ちが届く。

「毛皮のマリー」はひたすらの悲しみ。
今回の「黒蜥蜴」は、刹那の残酷なまでの一瞬と、相反する包み込む慈愛。
美意識から体温までを堪能できる舞台にはそうそう出会えるものではない。

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